- オバマ氏、たった3ワードの勝利宣言ツイート - ITmedia ニュース
- オバマ氏、たった3ワードの勝利宣言ツイート - ITmedia ニュース
Reader™「Lideo、ようこそ国産電子書籍リーダー四天王へ」
Lideo「俺も今日から四天王か、、よろしく」
UT-PB1「これから、一緒にがんばろうぜ!」
BookPlace「………」
”スコットランド人はスコティッシュ、アイルランド人はアイリッシュ、ウェールズ人はウェルッシュであり、そうでない残りの地域、イングランドの人をイングリッシュと呼ぶ。これらは別の国の人達だ。歴史や文化、また大雑把にいえば人種も違う。
たとえれば、韓国人と、台湾人と、日本人ぐらいに違う。皆アジア人だが、韓国人も台湾人も、日本人ではない。それぐらいに違うのだ。スコットランド人に、「あなたはイングリッシュですね」というのは、韓国人に、「あなたは日本人ですね」というのと同じぐらい失礼なことだ。
”英国人と総称したい時には、「イングリッシュ(English)」よりも「ブリティシュ(British)」の方がよい。
しかし、「ブリティシュ」というときには、アイルランド人は入らない。民族を書き入れてみると、「複雑であること」が分かってくる。
ブリティシュ(British)- イングランド人(English)- アングロサクソン民族
ブリティシュ(British) - スコットランド人(Scottish) - ケルト民族
ブリティシュ(British) - ウェールズ人 (Welsh) - ケルト民族
アイリッシュ (Irish) - アイルランド人 (Irish) - ケルト民族
英国人というつもりで、Englishと発音することに慣れ過ぎているが、
Englishはあくまでも「イングランド人」なのである。
「English」が、連合王国(つまり日本人が連想する英国)の人々を総称することは絶対にない。
”アメリカではキリスト教信者ということは当然至極のことであり、
「あなたの宗教は?」と聞かれて、「キリスト教です」と答えるアメリカ人はいません。
では何を答えるかというと、パブティストだとか宗派を答えるのです。
日本で考えると、国教が仏教として定められていて、「宗教は?」 と聞かれたら、
「真言宗です」「日蓮宗です」と答えるようなものです。
無宗教ということを公表することは、人々から反感を買うことであり、
立花隆氏著『宇宙からの帰還』では、無信仰の宇宙飛行士がインタビューで宗教について聞かれたときの返答について、
反感を買わない為にどのように答えるか考えるシーンが出てきます。
「あなたは何ですか?」
イギリスを構成する地域のひとつ、スコットランドでの話です。
杉本優さんの「小岩スコットランドホームページ」で拝見した話です。
ある工場で、入ったばかりの新人に先輩が「お前はなんだ?」と聞きました。
いきなり「なんだ?」と聞かれて、さて何について尋ねているのか、日本人の私は質問の意味がわかりませんでした。
何を聞いているのかというと、「プロテスタントか、それともカトリックか」ということを聞いているというのです。
それは、味方か敵かを確認する質問だということでした。
日本だと初対面の場合、特殊な集まりならともかく、宗教を確認されることはまずありません。
「住んでいるところは?」「出身は?」といったようなことを聞かれるぐらいです。
多くの日本人は宗教団体に入信しているかもしれませんが、自分で信仰していることをアピールしない限り、
はたから見てその人がその宗教を信仰していることは、よっぽど際立った行為等がなければわかりにくいことです。
宗教系以外の学校の入学や就職やその他で、信仰について聞かれることも確認されることもありません。
芸能ニュースと同じ感覚で、日本人が新興宗教を話題にすることはありますが、
大勢の人が集まるところで、勧誘は別として、 生活に密着したものとして、
ごく当然に宗教心や宗派について語られることがない国です。
またスコットランドの話になりますが、グラスゴーに「レンジャーズ」と「セルティック」という大きなサッカーチームがあります。
この2チームの戦いは、単なるサッカーだけの戦いにとどまりません。2チームの戦いと平行して、別の凄まじい戦いがありました。
レンジャーズ
レンジャーズはプロテスタントのチーム、 セルティックはカトリックのチーム。
「レンジャーズとセルティック、どっちのファン?」という質問は、「カトリックか?プロテスタントか?」と聞いていることになります。
この問いは、 西部スコットランドでは頻繁に聞かれるそうです。
セルティック(意味:ケルト人の)
この2チームが大きいのは、上記の理由から、スコットランド全体、南北アイルランドからサポーターを集めている為です。
彼らにとって、 レンジャーズvsセルティックは、 支配者層vs労働者層であり、カトリックvsプロテスタント、
ケルト人vsアングロサクソン人でもあり、 サッカーの試合に重ねて、もう1つの凄まじい戦いが繰り広げられていたのです。
レンジャーズの支持層は、裕福なアングロサクソン系の人々、
セルティックの支持層は、虐げられてきた、貧しい労働者階級の人々。
コートで飛び交ったのは声援だけではありませんでした・・・。
1999年のワールドサッカーダイジェストには、次のような話が載りました。
『レンジャーズとセルティックの前ではユダヤ対アラブもかすんでしまう。
グラスゴー・ダービーのエネルギーは、悪名高き中東の対立の100倍以上だ』
現在、レンジャーズの宗教色は薄れつつあり、サポーター達も過激な宗派対立色はかつてほどではなくなったとのことです。
”サッカーのW杯(ワールドカップ)などで、「イングランド」は「イギリス」だと勘違いすることがありますが、
「イギリス」という出場国(代表チーム)はなく、UKを構成する4つの地域、「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」
という出場国に分かれます。
理由はそれぞれの地域にサッカー協会があり、代表チームとは協会単位だからです。
UK(連合王国)を名乗ってるぐらいなんだから、「イギリス代表」があってもいいじゃないか、という考え方もありますが、
それは、例えば自分達に置き換えてみると、日本と韓国と北朝鮮がそれぞれ独立国ではなく、
仮に陸続きで3地域で連合国だとして、 先の「イギリス代表」の話は、3地域の連合国の代表チームが1つあればいいじゃないか、
と言っているのに等しいです。
そう言われて、果たして素直に納得出来るでしょうか。
日本人と韓国人と北朝鮮人は全く別の人種として互いを意識(ライバル意識もあり)しあっているわけですから、到底無理な話です。
ベルファストは、北アイルランド唯一の都会で、紛争の中心地となったところ。
ベルファストの北部の大部分がイギリス系住民で、IRAから自分たちの身を守るUVFという住民組織があった。
有名なタイタニック号はベルファストで造られた。
”●ヒュー・ブラウン氏の言葉から
ベルファストに生まれ、15歳でUVFに誘われ入軍し、テロ活動を行う。後に改心して牧師となる。ノーベル平和賞受賞者。
サイト「NIYONIYO」に掲載されている、ヒュー・ブラウン氏の話から抜粋
紛争は宗教の対立かという質問に対して、全くないわけではないが、ほとんど関係がなく、
テロ活動をしていたとき、ブラウン氏は宗教に関心はなかったとのこと。
「IRA、UVFのどちらでも、『宗教のために戦っているのか』と聞いたら、笑われます」
かつて自分自身もテロ活動を行い、悲惨な体験をしたブラウン氏は、
「憎しみを超える唯一の方法は、許し合う大切さを分かること」だと言う。
弟の拷問を目の前で見せられたことは忘れられないが、許さないと憎しみから解放されない為、それを許した。
「UVFは無差別にアイルランド系住民を殺す人が出てきて、私は嫌になった」
「仕返し、復讐。その連続。何百年も前に起きたことが今でも許せない」
テロ組織には支援している国があり、IRAはNYのアイルランド系アメリカ人から、ほとんどの支援を受けていたとのこと。1997年から5年間で、約6億円がアメリカからIRAに送られた。
最初の紛争や戦争は差別、差別を受けた民族が反発して始まることが多い。
続くのは、「許せない」「仕返ししたい」と憎しみが消えないから。仕返しの連続。
「忘れることはできないが、許せる」
何十年たっても思い出すと感情が湧いてくるから、 思い出してしまっても考えない続けない。
許しは、憎しみや恨み、復讐心から解放される、唯一の方法。
許さないといつまでも憎しみや恨みに支配され、逆に被害が大きくなる。
『私は「なぜ、人を殺してはいけないのですか」という本に、「自分のために相手を許さなければならない」と書きました』
”やきいものうた
なにか準備してる (at カレッタ汐留)
記憶力の良さをインテリジェンスだと見なしているのは中国だけではなく、これは東洋国全般に言えることだろう。日本の学校の試験は記憶力テストだし、幼児期においても、例えば日本の保育施設の図画工作では「みんなで同一のゴールに到達しましょう」という目標設定をしてから同じ材料で同じものを製作させることが多く、これなどは、どういう順序で何をすればゴールに到達できるのかよく見て覚えなさい、という教育であり、要するに記憶力の訓練なのである。
これは中国や韓国、シンガポールなどでも同じだそうで、テーブル一杯に様々の材料を並べ、「何を使ってもいいし何を作ってもいい、好きにしろ」という英国の保育施設の図画工作の時間は、フリーダムというより、職員が怠慢過ぎ。と怒るお母さんはだいたい東洋人である(インド人の場合もある)。
しかしながら、好き勝手にやれというフリーダムには「自分で決断する」「試行錯誤しながら解決法を見出す」という人生の最重要タスクが含まれているのも確かで、言い方を変えれば、英国のガキどもは幼少のみぎりから決断を下す訓練をしているとも言える。
とはいえ、当然ながら幼児が自分で物事を決めれば失敗の連続であり、悔し泣きをして癇癪を起したり、激怒してあたり一面のものを床に投げ落としたりして、保育士から「ノー・サンキュー!」と叱られ、号泣しながら、だんだん子供たちは決断上手になって行く。
しかし、失敗からちっとも学ばない子供というのもいて、こういうやり方では「正しい決断が下せる個人」と「間違った決断しか下せない個人」の能力差や、その結果としての社会的階級差が広がるのは確かである。なぜなら、こうした「自分で決めなさい」の教育では、あらかじめ「こうすればうまく出来ますよ」という成功モデルを記憶させることをしないからである。
が、大きな決断を下す場合に必須である肝っ玉や直感的センスというものは、こうした訓練無しには身に着かない。なぜなら肝っ玉やセンスというものは生まれついた性質や才能ではなく、「大失敗するかもしれないというリスクを背負い、全く手本や前例のない中で、自分で決断を下して来た」経験の連続から習得するものだからだ。
と、ここまで書くとお気づきの方もおられるだろうが、「決断の下せるリーダーがいない」国には、こうした決断の練習をさせる教育ポリシーがない。と言えはしないだろうか。
我が祖国の政治家にリーダーとしての肝っ玉がないというのは、政治家がエリートだからではなくて(政治家なんてものはどこの国でもエリートだ)、自分で決断して直接やりかぶらなくていい教育を受けたせいだ。日本の子供の教育で重視されるのは、決断力や自信というよりは脳内データベースの豊かさだ。そしてそのデータベースの重厚さと正確さによって「優秀だ」と評価されて来た人々は、前例のない事態が勃発した時には混乱してしまう。
なぜなら、前例のないことはデータベースの中に含まれていないからである。
そしてこういう教育を受けた人々は、指導者というポジションには不向きだ。
なぜなら、リーダーとは、ぶっちゃけた話、他人のために自信を持って決断を下せる個人だからである。
とは云え、世の中には「ただ一つの正しい道」など存在しないので、どのような教育が正しくて、どれが間違っているということはない。
どの教育も、別のタイプの人間を効果的に製造するという点で、それぞれ正しいのである。
THE BRADY BLOG:セオリーから導く開国のススメ (via ginzuna)
なぜ麻生さんが際立って優秀なリーダーだったのか? なぜ短命に終わった最近の自民党政権総理大臣たちもまた優秀だったのか?(実務経験と決断、リスクテイクの経験)
なぜ学歴エリートたるテレビ新聞などのマスメディア人が麻生さんに激しい嫉妬と憎悪を燃やし、政権が短命になるようにウソも卑劣さもいとわず殺しにかかったのか? (リーダーとしての資質への嫉妬)
なぜ学歴エリートたる民主党政権のリーダーたちまた、さんざんリーダーをおとしめることにばかり注力してきて、いざリーダーになってみるとおそろしく有害なのか? (欠落した資質への嫉妬と、欠落の実証)
これらの理由となった要素のうちの一つが見事に説明されているように見えます。
(via windsock)