ナンプレを解いていた羽生さんに記者が
「頭の体操ですか?」
と聞いたところ
「頭ですか?頭は使いません、手の体操です」
と真顔で答えた羽生さん
- プロ将棋士SUGEEEEEEEEEEってなる話教えれ - まめ速 (via hevimeta)”
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“66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/28(水) 12:57:50.95ID:zIWpKCz20
ナンプレを解いていた羽生さんに記者が
「頭の体操ですか?」 …”
ナンプレを解いていた羽生さんに記者が
「頭の体操ですか?」
と聞いたところ
「頭ですか?頭は使いません、手の体操です」
と真顔で答えた羽生さん
“66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/28(水) 12:57:50.95ID:zIWpKCz20
ナンプレを解いていた羽生さんに記者が
「頭の体操ですか?」 …”
よく思うのですが、ゲーム作りの現場って「バカ正直に作りすぎている」と思う事があります。
例えば、建物内のA地点からB地点までを移動するための廊下のような通路。これ、わざわざ作る必要があるのか?
単に駆け抜ければ10秒も掛からないような場所ですけど、特に必要なイベントや敵との戦闘がないのであれば、これっていらないですよね?A地点の扉を入った瞬間に暗転>B地点へ、でも同じはず。いや、むしろ余計な移動がない分、さくさく進むからユーザーにとってもストレスが無い。
美術的に魅せたいとか、何か理由があるなら別ですが、単に建物の構造に矛盾が無いようにするために作っている場合が多い気がします。が、昔から思っている事ですが「矛盾が無い事は面白い事なのか?」という・・・
これに類する事で、例えばノベルゲームなんかも全てのセリフを音声にする必要があるのか?という疑問があったり、画面上では大画面でも手のひらサイズにしか全身が映らないキャラクターの顔のモデリングに時間をかけたり。
「神は細部に宿る」といいつつ、細部に満遍なくこだわろうとした結果、本来の目的である「何を魅せるべきか」が曖昧になっている気がします。
もっとも、これはゲーム作りが専業化しすぎて、それぞれのプロフェッショナルがこだわりを持つからこそ発生するものだと思いますが。
以前お話した尊敬するディレクターのように「移動の際、キャラクターの足が滑って見えるのが気になる?だったらカメラをちょっと上に上げて地面と接地する足が見えないようにしよう」というアイデアは、考えればいくらでもある気がしますが。
”191 名無しさん@涙目です。(兵庫県) :2011/09/30(金) 13:54:47.99 ID:7U8mcYXX0
「列車同士の間隔調整から踏切まで、制御の仕組みが大きく変わる。世界的にも最先端なのは間違いない」。新システム「ATACS(アタックス)」を担当するJR東日本・鉄道事業本部電気ネットワーク部の馬場裕一課長は新たに導入する仕組みの革新性をこう表現する。
鉄道は19世紀後半から100年以上、路線を複数の区間に分けて、他の列車が同じ区間に入らないようにすることで衝突事故を防いできた。線路に電流を流すことで、特定の区間内に列車が存在するかどうかを確認。もし列車がいた場合、地上に設けた信号機で各列車の運転士に同区間には入らないよう指示する形式が長い間主流だった。
ただこの仕組みでは、レールに電流を流したり信号機を作動させたりするため、線路周辺に多くの配線や機器が必要となる。屋外の設備が多いほど設置・保守の費用に加え、信号故障などのトラブルも増えてしまう。「地上設備をいかに減らすかは鉄道にとって長年の課題だった」(同課長)。また前の列車と十分な距離があっても、「次の区間」に列車がいれば進めないため、効率的な運行にも限界があった。
今回のシステムはこうした「ボトルネック」を根本から変えてしまうものだ。