“リビアで民衆が抗議デモを始めたのは1ヶ月半前のことではなく、2年前だったという事実をご存知ですか?
2年前、リビアの東部ベンガジで、世界の誰もが見向きもしない中、ある家族たちが命を懸けのデモを始めたのです。今年のデモが始まったのがベンガジなのは決して偶然ではありません。
デモを始めたのは、トリポリのアブ・サリム刑務所で虐殺された政治犯の家族たちでした。
1996年6月 トリポリのアブ・サリム刑務所で、約1200人が虐殺されるという事件がありました。アブ・サリム刑務所は政治犯が多数拘禁され、拷問で 悪名高い刑務所。環境改善を訴える受刑者たちが暴動を起こし、翌日、2時間にわたる銃の乱射が行なわれ、約1200人が死亡したのです。
この事実は隠されていましたが、アブ・サリム刑務所から釈放された人たちの証言などから、次第に全貌がわかってきました。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2006年に、アブ・サリム刑務所虐殺事件の全貌をまとめた調査報告書を出しています ⇒ http://www.hrw.org/ja/reports/2006/06/28/libya-june-1996-killings-abu-salim-prison
2007年3月、遺族30家族が北ベンガジ裁判所に、家族の消息の開示を求めるなどした裁判を起こしました。裁判所は結局家族の訴えを認めましたが、リビア政府は判決に従うのを拒否します。
そこで、万策尽きた家族たちは、ベンガジでデモを始めたのです。カダフィ大佐が権力について40年。始めての政府に対する抗議デモといっても過言ではありません。
リビアの法律によれば、カダフィ大佐の革命を批判する反革命罪は死刑もありえます。家族は危険を承知で、デモを始めたのです。家族の一部は脅迫されたり尋 問されたりしました。そして2009年3月には、1000人以上の政治犯たちの弁護士として活躍していた若き人権弁護士ファティ・テルビル氏が逮捕されま した。
それでも家族は闘い続けました。そして2009年6月の虐殺13周年記念日には、なんと200人の男女子どもの市民がベンガジでデモを行ないました。
人権弁護士ファティ・テルビル氏は、今年2月15日、また逮捕されました。このテルビル弁護士に逮捕に対する抗議のデモが、今回のリビアの大規模デモの引き金となったのです。
つまり、今回のリビアの民衆デモがベンガジからはじまったのは偶然ではありません。エジプトなど中東の民衆デモだけでなく、ベンガジの勇気ある遺族たちが2年にわたり声をあげ続けたことが、多くのリビア人が声をあげるとなったのです!
★ 以下、今回の民衆デモにいたる簡単な年表ですので御参考までに
2009年ころ 虐殺遺族のデモ開始 ベンガジ 「父はどこ?」「遺体を返せ」
2009年6月 虐殺13周年記念日 200人の男女子どもの市民がベンガジでデモ
2011年2月15日 人権弁護士 ファティ・テルビル氏 逮捕
2011年2月16日 ベンガジでデモ開始
2011年2月17日 バイダ、ベンガジ、ザンテン、ダーナ、アッジダビアなどで「怒りの日」デモ”
- リビアの民衆デモのきっかけとなった2年前の事件とは: ヒューマンライツウォッチ 土井香苗のブログ (via nakano)
2年前、リビアの東部ベンガジで、世界の誰もが見向きもしない中、ある家族たちが命を懸けのデモを始めたのです。今年のデモが始まったのがベンガジなのは決して偶然ではありません。
デモを始めたのは、トリポリのアブ・サリム刑務所で虐殺された政治犯の家族たちでした。
1996年6月 トリポリのアブ・サリム刑務所で、約1200人が虐殺されるという事件がありました。アブ・サリム刑務所は政治犯が多数拘禁され、拷問で 悪名高い刑務所。環境改善を訴える受刑者たちが暴動を起こし、翌日、2時間にわたる銃の乱射が行なわれ、約1200人が死亡したのです。
この事実は隠されていましたが、アブ・サリム刑務所から釈放された人たちの証言などから、次第に全貌がわかってきました。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2006年に、アブ・サリム刑務所虐殺事件の全貌をまとめた調査報告書を出しています ⇒ http://www.hrw.org/ja/reports/2006/06/28/libya-june-1996-killings-abu-salim-prison
2007年3月、遺族30家族が北ベンガジ裁判所に、家族の消息の開示を求めるなどした裁判を起こしました。裁判所は結局家族の訴えを認めましたが、リビア政府は判決に従うのを拒否します。
そこで、万策尽きた家族たちは、ベンガジでデモを始めたのです。カダフィ大佐が権力について40年。始めての政府に対する抗議デモといっても過言ではありません。
リビアの法律によれば、カダフィ大佐の革命を批判する反革命罪は死刑もありえます。家族は危険を承知で、デモを始めたのです。家族の一部は脅迫されたり尋 問されたりしました。そして2009年3月には、1000人以上の政治犯たちの弁護士として活躍していた若き人権弁護士ファティ・テルビル氏が逮捕されま した。
それでも家族は闘い続けました。そして2009年6月の虐殺13周年記念日には、なんと200人の男女子どもの市民がベンガジでデモを行ないました。
人権弁護士ファティ・テルビル氏は、今年2月15日、また逮捕されました。このテルビル弁護士に逮捕に対する抗議のデモが、今回のリビアの大規模デモの引き金となったのです。
つまり、今回のリビアの民衆デモがベンガジからはじまったのは偶然ではありません。エジプトなど中東の民衆デモだけでなく、ベンガジの勇気ある遺族たちが2年にわたり声をあげ続けたことが、多くのリビア人が声をあげるとなったのです!
★ 以下、今回の民衆デモにいたる簡単な年表ですので御参考までに
2009年ころ 虐殺遺族のデモ開始 ベンガジ 「父はどこ?」「遺体を返せ」
2009年6月 虐殺13周年記念日 200人の男女子どもの市民がベンガジでデモ
2011年2月15日 人権弁護士 ファティ・テルビル氏 逮捕
2011年2月16日 ベンガジでデモ開始
2011年2月17日 バイダ、ベンガジ、ザンテン、ダーナ、アッジダビアなどで「怒りの日」デモ”
- リビアの民衆デモのきっかけとなった2年前の事件とは: ヒューマンライツウォッチ 土井香苗のブログ (via nakano)