Biography
高校時代(早稲田大学高等学院) 1976年~
TK-80を組み立て、初めてプログラムを書く。少ししてアスキーの記事の外部執筆者となり、Game80コンパイラなどを月間アスキーで発表する。後
に、アスキー・ラボラトリーズの一員として加わり、PC-8001のプロモーション画面を作ったり、「Basic Game
Book」のゲームを六本木の安外人ホテルに2週間缶詰にされて作ったりする。
大学・大学院時代(早稲田) 1979年~
引き続きアスキー・ラボラトリーズの一員として、テリドン・システム、CP/M、MS-DOSなどの移植を担当する。後に、再び外部プログラマーとなり、パソコン用CADプログラム「CANDY」を開発、アスキーに販売してもらう。
通研時代(NTT武蔵野通信研究所) 1985年~
交処室というところに研究員として配属される。後期研修のまとめの発表会で、NTTの管理職クラスがいかに官僚的かを風刺した寸劇をやる、新入社員を集
めた労働組合の決起大会の合宿から抜け出す、頼まれもしないのに特許を申請しようとする、など行動を繰り返し、上司には「新人類」と呼ばれる。「マイクロ
ソフトの日本法人ができたので、そっちに行くことにしました」と辞表を出したときには、「親に相談したのか、教授には許可を取ったのか」と怒られる。
MSKK時代(マイクロソフト日本法人) 1986年~
誰もやりたがらなかった Windows1.03 のプログラマーとなり、日本語化・IME(漢字入力)の設計などをする。その後、Windows 2.03、OS/2 presentation manager の開発を担当する。
Microsoft時代(米国レドモンド本社) 1989年~
本社に移籍し、次世代OSのユーザーインターフェイスの設計に関わる。当初 OOSH(Object Oriented
Shell)と呼ばれていたグループは、後にCairoプロジェクトに吸収される。途中で上司(Jim Allchin)と喧嘩をして、敵対するグループ
Chicago に移り、Cairoで作りたかったものを Windows95
という形で世の中に出す(結果、Cairoプロジェクトはその時点でキャンセル)。次に、頼まれてもいないのに Internet Explorer
グループに移籍し、ブラウザーの全面書き直しを始め、IE3.0、IE4.0という形で世の中に出す。次に Windows
のシェルとIEを合体させ、Windows
98という形で世の中に出す(結果、マイクロソフトは独禁法で訴えられる)。その後「次世代オフィス」を目指して NetDocs
というプロジェクトを立ち上げるが、既存のオフィス・チームとの調整が付かず空中分解。
VC時代(Ignition Partners) 2000年~
マイクロソフト時代の上司 Brad Silverberg
らとベンチャー・キャピタル(投資会社)を設立する。このときに、携帯電話市場、会社設立の方法、資金調達法、などについて勉強する。ムクムクと「自分で
ベンチャー企業を立ち上げてみたい」という気持ちが高まる。
UIE時代(UIEvolution Inc.) 2000年~
Ignition から独立して、ソフト会社 UIEvolution
を起業する。創業資金の調達(シリーズA)、事業拡張資金の調達(シリーズB)、コストカットのためのレイオフ、初めての売り上げ(米ディズニー)、など
を経験したのち、スクエア・エニックスに吸収合併される。
スクエニ時代(Sqaure Enix Inc./UIEvolution Inc.) 2004年~
スクエニとの共同プロジェクトとしてauのezGame
Street、オンデマンドTVのセットトップボックスのUIを日本でローンチ。米国では、news corpとMySpace
mobile(AT&T/Cingular)、ESPNとESPN MVP(Verizon)をローンチ。
- Satoshi Nakajima