“ 岩手東海新聞の記者として岩手県宮古市を30年間駆け回った佐々木健さん(64)が、東日本巨大地震による津波にのまれて死亡していたことが分かった。
街中を漂流した愛車には、津波の寸前に必死に積み込んだカメラとパソコンがあった。
地震発生日の11日、佐々木さんは宮古湾近くの2階建て事務所にいた。配達に出ようとする配達員を制して避難させ、建物に戻って妻雅子さん(60)とともにパソコンを車に運んだ。
車に乗り込む直前、ごう音が響き渡った。「雅子、2階に上がれー!」。佐々木さんも後に続こうとしたが溺れてしまった。一足先に2階に上がった雅子さん が目を凝らすと水面から、佐々木さんの顔が見えた。「電柱につかまって」と声を張り上げたが、沈んでいったという。「パソコンなんて持たずに避難をしてい れば。でも、原稿執筆には欠かせないものだから……」
佐々木さんは1969年に入社。雅子さんと手分けして漁業や祭りなどの話題を取材、毎日4~5本の原稿を書いていた。定年直後の2006年秋に心臓病でペースメーカーを付けたが、翌年に人工弁を装着し嘱託として現場復帰。胸の手術痕で遺体を確認した。
同社業務局長の神林知明さん(63)は、「どこにいっても知られている、根っからの記者だった」と惜しんだ。(山田正敏)”
- ベテラン地元紙記者、妻の目前で津波にのまれる (読売新聞) - Yahoo!ニュース
街中を漂流した愛車には、津波の寸前に必死に積み込んだカメラとパソコンがあった。
地震発生日の11日、佐々木さんは宮古湾近くの2階建て事務所にいた。配達に出ようとする配達員を制して避難させ、建物に戻って妻雅子さん(60)とともにパソコンを車に運んだ。
車に乗り込む直前、ごう音が響き渡った。「雅子、2階に上がれー!」。佐々木さんも後に続こうとしたが溺れてしまった。一足先に2階に上がった雅子さん が目を凝らすと水面から、佐々木さんの顔が見えた。「電柱につかまって」と声を張り上げたが、沈んでいったという。「パソコンなんて持たずに避難をしてい れば。でも、原稿執筆には欠かせないものだから……」
佐々木さんは1969年に入社。雅子さんと手分けして漁業や祭りなどの話題を取材、毎日4~5本の原稿を書いていた。定年直後の2006年秋に心臓病でペースメーカーを付けたが、翌年に人工弁を装着し嘱託として現場復帰。胸の手術痕で遺体を確認した。
同社業務局長の神林知明さん(63)は、「どこにいっても知られている、根っからの記者だった」と惜しんだ。(山田正敏)”
- ベテラン地元紙記者、妻の目前で津波にのまれる (読売新聞) - Yahoo!ニュース