地震当日、復元船「サン・ファン・バウティスタ」に押し寄せた大津波。船の横にあった展示室は波にのまれた(提供写真)
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた「宮城県慶長使節船ミュージアム」(宮城県石巻市)の目玉は復元された帆船。ドックに浮かぶ木造帆船は、押し寄せる津波に耐え抜いた。今もがれきに囲まれながら、威容を誇っている。
この船は慶長18(1613)年、仙台藩主・伊達政宗の命を受け、ローマを目指した支倉常長(はせくらつねなが)ら、慶長遣欧使節団が乗った「サン・ファン・バウティスタ」。日本の船としては初めて太平洋を2往復した。
その偉業をたたえ、宮城県志津川産のマツ、牡鹿半島のスギ、岩手県産のケヤキなど、南三陸地方の木材で建造された。387トン、全長55.35メートルで高さ48.80メートル。国内最大級の木造様式帆船は、16億7千万円をかけて平成5年10月に完成し、ドックで公開されていた。
3月11日、同館の須藤浩さん(50)は高台から〝その瞬間〟を目撃した。「沖の方からじわじわと黒い壁が迫ってきた。直撃された船は左右に大きく揺れた」。須藤さんは「船に対し正面から波がきたので、大きな損傷を免れたのでは」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
夜、船の近くに立つと聞こえるのは穏やかな波の音だけ。打ち寄せる優しい波が、10メートル以上の大津波に変貌(へんぼう)したとは想像もつかない。しかし、周囲を見渡すと、資料展示室の分厚いガラスが粉々に飛び散り展示品が散乱。かばんや地球儀、冷凍食品なども散らばり、打ち上げられた魚が腐敗して異臭を放っていた。同館は今でも避難所になっており、5月16日現在で30人の周辺住民が暮らしている。
しかし、奇跡的に残った船を修繕する計画も持ち上がっている。須藤さんは「石巻復興のシンボルになれば」と期待する。今、闇の中で帆船を照らすのは避難所の明かり。これが、鮮やかなライトアップに変わる日が待ち遠しい。
(写真報道局 桐山弘太)