これは資本主義の罠です。
ご存知の通り、資本主義の大きな欠点として、外部不経済の話があるわけでして、外部化された費用の話が、この分析には欠けている。
田んぼをソーラーパネルに置き換えた場合の外部不経済の話を網羅的に書くのは非常にだるいので、ひとつだけ例を挙げましょう。
言うまでもなく、田んぼというのは自然にできたものではなく、人間活動の産物であります。しかし、ある程度、自然と共存しているものです。田んぼは、無数の生命を養っております。目に見えない微小な生き物から、虫、蛙、鳥など、多数の生命が田んぼで暮らしています。
田んぼをソーラーパネルにしてみますと、微小な生物やら鳥やらはどこか別の田んぼに行く、または死ぬわけですが。これは休耕地だろうとも、そうです。
このことには、二つの意味があります。まずひとつは、そのものとして価値がある生命、それが失われるという倫理的な意味。もうひとつは、生態系が提 供している、金銭的に大きな価値がある生態系サービスが失われるという経済的な意味です。もともと金銭の話をしていたので、金銭の話にしぼってみましょ う。
田んぼが提供している生態系サービスはいろいろあると思いますが、これを網羅的に書くのは非常にだるいので、ひとつだけ例を挙げましょう。
田んぼに暮らす微生物は、虫を養っている。虫は、鳥の餌になる。鳥は糞をし、土地に栄養を与える。栄養のある土地は、栄養のあるコメを生む(あるい は微生物を養う)。食物連鎖を考えると、だいたいこんな感じになるわけです。田んぼをソーラーパネルで覆ってしまうと、この食物連鎖が断たれる。食物連鎖 が断たれた田んぼは、やがてやせ衰え、ぺんぺん草すら生えない不毛の土地になるでしょう。肥沃な土地はかくして失われてしまった。
さて、この失われた肥沃な土地の価値は、いったいいくらだったのでしょうか。こういう目に見えない損失がいろいろ合算されて、見かけ上は経済合理的だった行動は、実は合理的でなかったということになる。
”- okuzawatsのブログ | 「田んぼではコメより電気を作ったほうが儲かる」という資本主義の罠 (via nakano)