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- 身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 経験の奴隷 (via otsune)
“経験の奴隷”はそうした状態に陥っているという事である。 自分のすでに知るところを目の前の「そこにあるすべて」であるものと部分部分で置き換える。そうして勝手に喜ぶか勝手に苦しむかする状態のことである。
たとえば、音楽を聴く者がいたとする。
一人目はただぼんやりとその音楽を好んだり嫌ったりする者である。彼はさいわいだ。 二人目は音楽を聴いて歌詞を褒めたり批判したりする者である。彼もまたさいわいだ。 三人目は音楽を聴いてメロディを褒めたり批判したりする者である。彼もやはりさいわいだ。 彼らはそれぞれ、自分と今そこにある音楽との間に、生きた関係を結ぶ糸を張っている。
四人目は、歌詞を褒める人間に対してメロディを褒めないのはけしからんと責める者である。 五人目は、自分の聴いたことのない歌詞やメロディを、自分が聴いたことがないという理由で責める者である。
”- 身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 経験の奴隷 (via otsune)