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" 「家族を失った人、避難バスで強制的に連れ出された人…。30人の従業員にさまざまな出来事が降りかかった」 「これ(原発事故)は、あなたの身にも降りかかるかも知れない人災です」 南相馬市原町区でクリーニン..."

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“ 「家族を失った人、避難バスで強制的に連れ出された人…。30人の従業員にさまざまな出来事が降りかかった」
 「これ(原発事故)は、あなたの身にも降りかかるかも知れない人災です」
 南相馬市原町区でクリーニング店を営む高橋美加子さん(63)が、店のホームページ(HP)に掲げたメッセージだ。
 福島第1原発から20~30キロ圏の原町区には3月15日、屋内退避指示が出された。高橋さんは指示解除までの約1カ月間の生活の記録とともに、思いを発信している。
 「原子力で電気を作るのはもうやめてほしい」
 生まれも育ちも旧原町市。創業から60年以上続く店の2代目社長で、四つの支店を持っている。
 地元から約30キロ南の福島県大熊町、双葉町に原発建設計画が浮上したのは20代のころだった。

 「発電所の建設そのものはいい。だが、危険な放射能を伴う原子力を人間が制御できるのか」
 「地元が潤うメリットと事故のデメリット、どちらが大きいのか」
 そんな疑問を抱いたのをきっかけに、家業の傍ら、エコロジー推進の活動に携わるようになった。
 40年以上がたった。原町からも原発関連企業に通勤する市民が増え、周辺の道路なども整備された。確かに多くの恩恵があり、「以前の自分は間違っていたのかも」と思うこともあった。
 3月11日の地震と津波の後、第1原発の事故は起きた。水素爆発で原子炉建屋が大破し、放射性物質が放出された。その一瞬で、子どもや孫、従業員らとの暮らしはめちゃめちゃになった。
 3月半ば、仙台の親類宅に避難したが、預かった客の服が心配で、1週間足らずで戻った。本店のある目抜き通りから、人の姿は消えていた。
 地元で検出される放射線量は低かったが、物流は滞った。その後、避難先から戻る市民が相次いだものの、金融機関やスーパー、病院、給油所も閉まり、外から支援の手は届かなかった。「見えないバリアーに囲まれ、隔離されたようだった」
 南隣の南相馬市小高区で津波にのまれた親類の1人が4月、遺体で発見された。小高区は原発の20キロ圏で立ち入りが制限され、不明者の捜索が遅れていた。「不安と悔しさでいっぱい」の1カ月が過ぎた。

 その間、高橋さんはクリーニングの仕事を再開した。4月2日に本店を開け、各支店で預かったままの服を回収した。客は少なかったが、22日に屋内退避の指示が解除され、「緊急時避難準備区域」となってからは、訪れる人も、近隣で再開する店も増えた。
 街が日常に戻る歩みは始まったばかり。原発の事故は現在、小康状態となっているが、「何よりも、市民の心身の疲弊が深刻だ」と言う。
 配達などの仕事を終えるとパソコンに向かい、放射性物質に翻弄(ほんろう)される地域の現実を知らない人たちに、懸命に願いを発信する。
 「東京の皆さん、福島第1原発は、あなた方の電気のための施設です。原子力発電を止められるのは、あなた方だけなんです。声を上げて下さい」”

- 河北新報ニュース 原発問題問いかける/クリーニング店経営・高橋美加子さん(63)=南相馬市 (via nakano)

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