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" 小出氏が反原発の立場を明確にしたのは、1970年のことでした。  1968年に東北大に入学し、原子物理学を専攻したときは、原発の将来に夢をはせる真面目な学生でした。  「真面目な学生」という意味は、そ..."

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 小出氏が反原発の立場を明確にしたのは、1970年のことでした。
 1968年に東北大に入学し、原子物理学を専攻したときは、原発の将来に夢をはせる真面目な学生でした。
 「真面目な学生」という意味は、その時代の大学は学園闘争のブームでした。だから、「大学生たるもの、自分の頭で考えなければならない」、と自認する学生であれば、たいていは一度は学生運動に参加するか、そこまではいかなくとも、社会問題に関心をもつのが普通でした。
 真面目な学生だった小出氏は、そこまでも行きませんでした。原子力の将来に夢を乗せた小出学生にとっては、学生運動は邪魔でしかありませんでした。勉強の妨害です。

 ところが、事件はまさにその真面目な勉強の中で起こりました。
 原子力の将来に夢があり、安全であるなら、原発は東北大学がある仙台市に設置されるに違いない、と彼は思っていました。なぜなら、東北地方で最も電力消費が多いのが仙台市だから、と。
 しかし、小出氏が驚いたことに、原発の立地場所に選定されたのは女川でした。
 ここで小出氏が疑問を覚えました、「なんで?」

 答えは、女川に足を運んで、地元住民たちの中に入った時、たちまちわかりました。
 原発は危険だから、仙台市には設置できない、と。
 「原発がそんなに安全なら、女川ではなく、仙台につくれ」というのが地元住民たちの声でした。

 真面目な原子力学生の小出氏が、ここから反原発学生に転身します。
 そして、1969年に東大闘争が安田講堂陥落以後、反体制学生運動のブームが消えてしまったのに対し、小出氏の反体制運動は、そこからスタートしました。
 以後、2011.5.4の今日まで40年。

 思うに、小出氏こそは、マルクス主義者ではなかったのか。
 なぜなら、原子力という「唯物」だけの次元で、反体制を貫いてきたから。
 なまじ、イデロオギーの次元で反体制運動を行った60年代の学生運動家たちは、ほとんどすべてぽしゃってしまった、と。
 小出氏の場合は、ぽしゃりたくても、ぽしゃることができませんでした。
 原発のリスクは常に、そこにあるから。

 小出氏を40年もの間、反体制運動の立場に置かせたのは、イデオロギーではなく、唯物論の立場でした。自然界の事実、です。
 自然科学は、唯物論です。


- Study of History (via nakano)

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