■ 缶ビール片手に放談
おなじ年の夏、私はGHQに呼び出され、大演説をブッておるんです。対局とか、木見先生の代理で関西本部の仕事とか、東京へ出る機会がわりと多かった。現在の朝日新聞顧問、当時は業務局長だった永井大三さんと意気投合して、上京すると朝日の本社に転がりこみ、永井さんの部屋をねぐらにしとったんだが、ある日、業務局次長の窪川さんが、
「GHQでお前にこいといっている。いろいろ将棋の話が聞きたいそうだ」
という。将棋界には大成会という組織があり、木村義雄という立派な会長がおられる。将棋の話なら、そっちから聞くのが筋だろう。だがアメリカさんのご指名とあれば、いやでも出向かなくちゃならん。
GHQの本部は皇居のお濠の手前、いまの第一生命のビルにあった。部屋に通されると、ベタ金の軍服を着たエラそうなのが4、5人、脇に通訳がいる。
「酒を飲ませてもらいたい」
開口一番、私はこういった。自分は5歳の時から、酒を飲んで育っておる。酒を飲みながら人と話をするのが、自分の習慣である。
「よろしい。日本酒はないが、ビールとウィスキーがある。どちらがよいか」
「ビールをちょうだいする」
これはね、あらかじめ立てていった作戦なんです。いったいなにを聞こうとするのか、相手の意図が分からん。うかつにしゃべって、言葉じりでもつかまれたらアホくさい。ビールを飲めば、必然的に小便が近くなる。難しい質問をされたら便所へ立ち、じっくり返事を考えよう、というんです。
よろしいといいながら、なかなかビールを出してくれん。催促すると、目の前に並んどるという。なんのことはない。缶ビールなんだ。こっちは横文字が読めんし、ビールの缶詰があるなんて、夢にも知らない。
あけて、飲んでみる。まずい。
「まずいなあ。これ、本物のビールか」
大声でそういったら、みんなビクッとした。よし、この調子なら大丈夫だろう。
やがて質問が始まる。
「剣道とか柔道とか、日本は武道というものがある。おかげでわれわれは、沖縄の戦いで手を焼いた。武道とは危険なものではないのか」
「そんなことはない。武道の武とはホコ(矛)を止める、と書く。身につけても外へは向けず、おのれを磨くのが武道である。武士道とは言葉づかいの道のことだ」
ビールをまずそうに飲みながら答えると、あちらさんも気をつかって、
「ナポレオンがある。これはどうか」
という。ナポレオンが高級な洋酒であることを、これも私は知らない。
「ナポレオンなんて、冬がくると負けちまうような将軍、私ゃ好きになれん」
トンチンカンな返事をするから、通訳はオロオロしおる。
「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」
おいでなすったな、と思った。たぶんこれをいってくるだろうと、覚悟しておった。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
こういうと、一気にまくし立てたようですが、一区切りごとに通訳が入って時間がかかる。その間、こっちはまずいビールをグイグイ飲む。
「あなた方はしきりに民主主義を振り回すけれど、チェスなんてなんだ。王様が危なくなると、女王を盾にしても逃げようとするじゃないか。古来から日本の武将は、落城にあたっては女や子供を間道から逃がし、しかるのちにいさぎよく切腹したもんだ。民主主義、民主主義と、バカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋をよく勉強して、政治に活用したらどうだ。」
酔いにまかせていいたい放題いうもんだから、ベタ金の将校さんも毒気に当てられ、苦笑するばかり。こうなればホラの升田の独壇場です。
「お前らは日本をどうするつもりなんだ。生かすのか殺すのか、はっきりしてくれ。生かすなら、日本将棋にならって人材を登用するのがいい。殺すというならオレは一人になっても抵抗する。日本が負けたのは、武器がなかったせいだ。オレはよその飛行機を分捕ってきて、お前らの陣地に突っ込んでやる。」
いやもう滅茶苦茶です。酔いが回るにつれて、「あなた方」と呼んどったのが「お前ら」に変わり、おしまいには「おんどれら」になった。これには通訳が困惑して、意味が分かりませんという。
「おんどれらとは、大あなたという意味で、これ以上はない尊敬の言葉だ。こんなのを知らんどって、よく通訳がつとまるな」
ハハアと通訳の奴、不思議そうな顔で納得した。
木村前名人のことも話題に出たので、
「戦争中、あの人が海軍大学などを講演して回り、おかげで日本は戦争に負けた。オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる。おんどれらにとっちゃ、あの人は大恩人なんだぞ」
といってやった。
■ 「戦犯をうまく使え」
かれこれ5、6時間も話とりましたかな。引き揚げていいというから、
「余計なことかも知らんが、一つ注文がある。巣鴨にいる戦犯の連中を、殺さんで欲しい。彼らは万事よく知っており、連中を殺すのは、字引を殺すようなものである。生かして役立てる道を考えてもらいたい」
こういったら、ベタ金の一人がフンフンとうなずいて、
「よくわかった。沈黙は金とかで、日本人は口が重い。戦犯たちにいろいろ聞いても、すっきりした返事をしてくれない。だが貴公は実によくしゃべる。珍しい日本人である」
といいおった。シャクにさわったから、最後にこういって帰ってきた。
「日本人は菜食主義で、元来がおとなしいんだ。それをおんどれらは、やれ肉を食え、牛乳を飲めと、日本人の血圧を高くさせ、短気にさせようと心がけよる。いらんことをせんといてくれ」
帰りしなに、ウィスキーを持って行けという。大風呂敷をひろげた男が、ヘイありがとうともらっては、コケンにかかわる。のどから手が出るほど欲しかったが、いりませんと断った。必要ならいつでも取りに来いと、感じはよかったです。ライシャワーさんと一緒に講演したり、ロバート・ケネディにお説教するようになったのは、この時のお喋りが切っ掛けだったんでしょう。
大阪を本拠地にしとる私が、なぜGHQに指名されたのか、いまもって理由はわかりません。思い出してみて、よくまあズケズケとしゃべりまくったもんだと、自分ながらあきれます。私には、酔ってしゃべり出すと止まらないところがあるんです。
でも、よかったんじゃないかな私の放談のおかげで、吉田茂さんはやりやすくなったんだと思う。
”- マーク・ダーシーの日記 : 将棋を救った男、升田幸三 (via itokonnyaku)