“そしてもう一つの理由。
虫の音を愛でる文化のある日本でも、さすがにセミの声は騒音とされるが、アメリカなんかではもっと嫌がられている。
テネシーで。ある年の晩春のこと。
「今夏はセミが大量発生する!」という予測が少なからぬ憂鬱と若干の恐れを込めて報じられていた。
ある朝の地元局のニュースでもそれを取り上げ、「セミ大量発生!」までは普通のニュースだった。驚いたのはその先で、そこでは「セミのおいしい食べ方」がさらっと明るい調子で紹介されていた。確かに物珍しさは漂っていたが、いわゆる「ゲテモノ食い」の高揚は感じられなかった。
紹介されていたのはフライかフリッターで、味はまあ可もなく不可もなくといった様子。紹介した人は「エビっぽいんですよ」みたいなことを言っていた
その発想の転換の思い切りの良さに脱帽である。
普段食べるもののレパートリーが-特に「1食30品目以上」がスローガンが掲げられていたこともある日本の食文化からすると-貧困にも見える、その彼らがどういうわけでこのような自由さを持っているのか?
まず下地にキリスト教があるだろう。
新約でいろんなものがチャラになったが、その時に他のものと一緒に食の禁忌もチャラになった、というあれだ。
あと忘れてはならないのは、開拓時代や大恐慌時で経験した苦難である。食べ物を確保するのが大変だった時代、食べられる物は何でも食べなければ生きられなかった時代、というのがそれほど遠くない昔にあった。
結論:アメリカ人はいざとなったら何でも食べる人たちである”
- 蜜蜂を弄ぶ : アメリカ人は保守的か (via ginzuna)
虫の音を愛でる文化のある日本でも、さすがにセミの声は騒音とされるが、アメリカなんかではもっと嫌がられている。
テネシーで。ある年の晩春のこと。
「今夏はセミが大量発生する!」という予測が少なからぬ憂鬱と若干の恐れを込めて報じられていた。
ある朝の地元局のニュースでもそれを取り上げ、「セミ大量発生!」までは普通のニュースだった。驚いたのはその先で、そこでは「セミのおいしい食べ方」がさらっと明るい調子で紹介されていた。確かに物珍しさは漂っていたが、いわゆる「ゲテモノ食い」の高揚は感じられなかった。
紹介されていたのはフライかフリッターで、味はまあ可もなく不可もなくといった様子。紹介した人は「エビっぽいんですよ」みたいなことを言っていた
その発想の転換の思い切りの良さに脱帽である。
普段食べるもののレパートリーが-特に「1食30品目以上」がスローガンが掲げられていたこともある日本の食文化からすると-貧困にも見える、その彼らがどういうわけでこのような自由さを持っているのか?
まず下地にキリスト教があるだろう。
新約でいろんなものがチャラになったが、その時に他のものと一緒に食の禁忌もチャラになった、というあれだ。
あと忘れてはならないのは、開拓時代や大恐慌時で経験した苦難である。食べ物を確保するのが大変だった時代、食べられる物は何でも食べなければ生きられなかった時代、というのがそれほど遠くない昔にあった。
結論:アメリカ人はいざとなったら何でも食べる人たちである”
- 蜜蜂を弄ぶ : アメリカ人は保守的か (via ginzuna)