日本のアニメ界で重要な足跡を残した人物が、10月下旬以降、相次いで世を去った。11月7日、アニメブームの先駆けとなった「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー、西崎義展(よしのぶ)さんが船から転落して死去(75歳)。10月26日には日本アニメーション社長の本橋浩一さんが、29日には「ポケットモンスター」の初期の脚本を手掛けた首藤剛志(たけし)さんが、それぞれ80歳と61歳で亡くなった。
第1作から36年、折しも実写版「ヤマト」の公開を12月1日に控えた中で伝わった西崎さんの急死は、関係者を驚かせた。
旧日本海軍の戦艦大和が改造され、地球を救う旅に出る「宇宙戦艦ヤマト」(昭和49年)は、劇場公開時に徹夜組が出るなど、社会現象としてのアニメブームを巻き起こした。SFアニメの金字塔とされる一方、何度も作られた続編は、死んだ人物が再登場するなど強引な設定が批判も呼び、その矛先が西崎さんに向けられることも多かった。
覚醒(かくせい)剤所持で逮捕されたり、「ヤマト」の著作者をめぐる裁判でも話題に。昨年公開の「復活篇(へん)」は西崎さんが自ら監督、同作のディレクターズカット版の公開に向け作業中だった。
本橋さんは「未来少年コナン」(昭和53年)や「世界名作劇場」シリーズなどを制作者として世に送り出した。日本アニメーションによると、周囲に「子供の情操によい作品を作るべきだ」と語っていたという。
首藤さんは作家性の強い脚本で人気があり、「戦国魔神ゴーショーグン」(56年)「魔法のプリンセスミンキーモモ」(57年、平成元年)などが代表作。「ポケモン」で手掛けた劇場版第1作(平成10年)は、米国公開された日本映画の歴代興行成績で今もトップの座を保っている。
■湖川友謙さん「西崎氏いなければヤマトなかった」
昨年公開の「宇宙戦艦ヤマト 復活篇(へん)」の総作画監督を務めた湖川友謙(こがわ・とものり)さん(60)は、西崎さんの逝去を受けて次のように語った。
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西崎さんと初めて会ったのは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(昭和53年)の打ち合わせで、事前に紹介されたとき。「みんなに見せるなよ。隠せ隠せ」と言いながら、ヤマトの腕時計をくれたのを覚えている。
優秀なプロデューサーだったことは間違いない。彼がいなければヤマトは生まれなかった。我(が)が強いところがあったが、ものづくりは人の意見ばかり聞いていてもだめ。彼の下で皆が団結できた時期もあった。
だが、「さらば」の大成功であの人は少し変わってしまった。現場についてよく知らない部分にまで口を出すようになったのだろう。「復活篇」の仕事を引き受けたのは、これまで彼と手がけた作品がどれも中途半端だった、という思いがあったからだ。
今、私たちでディレクターズカット版を作っている途中だったのに、彼は完成を見ずに亡くなってしまった。やはり寂しい。この仕事は何としても完成させたい。(談)
”- 西崎義展さん、本橋浩一さん、首藤剛志さん アニメ界の“才人”死去相次ぐ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース