“
- 仕事を通じて社会に触れるしかなかった - G.A.W. (via ginzuna)
考えてみれば、自分が社会に直接に関わらざるを得なくなったそのときから、仕事は俺と社会のあいだにあった。俺の場合、もう学生のころからずっとコンビニばっかりやってきたわけだけど、そうなると、世のなか全体の景気の動向なんかよりも、いま、目の前にある商品の売れ行きからものごとを考えるように自然になってしまう。俺の場合、道具としての専門的な知の体系を学ばなかったからなおのことだ。世のなかが健康ブームです、と言われてもピン来ない。しかし、目の前でC1000タケダが飛ぶように売れていくという事実はわかる。それはなぜなのか、と考えたときに、はじめて俺の前に「健康ブーム」というものが姿をあらわす。
だいたいいつも、そんな感じだった。俺の視野は狭い。その狭い視野のなかで起こっている出来事の背後になにがあるのか。そういう考えだけでやってきた。いまでもそうだ。
仕事をする、ということに意味を与えるのは難しい。俺が与えられた意味は「自分の肉体を生かすため」だった。しかしこれだけでは、なかなか死にたくなることを防ぐのは難しい。それは、生きるために生きる、という同語反復の類だからだ。これを不満なく実現できれば、そりゃ悟りの一種だ。
養わなければならない人ができたときに、仕事をするもうひとつの理由ができた。これで俺は簡単に死ぬわけにはいかなくなった。なるほどこれは大きな意味だ。
しかし実際には、それ以上に本質的なもうひとつの意味があったのではないか。そこに、今朝、発注をやっているときに、不意に思い至ったわけだ。つまり、仕事とは、社会というこの、得体の知れないほど大きなものに触れる手である、ということに。
”- 仕事を通じて社会に触れるしかなかった - G.A.W. (via ginzuna)