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- DOME || COLUMN / ESSAY (via tnoma)
スペースシャトルが日本製でないことや、パソコンの中身が全て外国製であることや、自衛隊の戦闘機がアメリカの技術で作られている事などを恥と感じたりプ ライドを傷つけられたりする感覚は、最早、日本国民としては古き良き時代の遺物なのだろうか?
HONDAは過去において2回もF1へ挑戦してエンジンの優秀性を世界に知らしめたものの、その挙句の選択が、3 回目のF1挑戦における海外技術への丸投げである。
TOYOTAも自社の社員だから独自技術と称しながらも、その実体は、全てを外国人の経験者に頼ってのスタートだった。
私は未だに、この両社がF1に求めたものが何だったのか理解できていない。しかし結果的に、この両社が今まで海外に流出させた莫大な予算の対費用効果がほ とんど無に等しいであろうことは想像に難くないし、海外の産業を潤し技術の向上に寄与した貢献度は計り知れないが、その一方、日本の技術と産業をないがし ろにして疲弊させていった愚かなる施策のつけは、現状、じりじりと国内のレース界の体力低下として表面化しつつあり、そのうち、外国製の同じ形のレーシン グカーで走り回るだけしか能のない日本の自動車レースもどきの見世物は、その存在理由の説明すらおぼつかなくなって、自動車レースそのものの価値を貶める 最大の要因となっていくだろう。
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