震災からの復興について。ホントに日本人って復興したいの?
きょう会社で読んだ点毎にも「日本は復興する」みたいな記事が書いてあったけど、 そのよりどころがまたもや「世界が応援している」「世界が期待しているから」というものであった。 あいかわらず自意識まるだしというか。オマエら、他人がどう思ってるかどうかは どうでもいいんだよ! 自分はどうなんだ? …じつは新山はこれを疑っている。 神戸震災のときは、新山も若かったからかもしれないが、まだ日本の将来は明るいように見えた。 当時と比べると、いまの日本全体をおおう空気ははるかに 灰色だ。 そしてこれは地震が起きる前からすでにそうだったのである。 日本はすでにピークを過ぎていた感があったし、加えて “限界効用逓減の法則 (the law of diminishing marginal utility)”ってのがある。 もう物質的な豊かさは限界に来ていて、たとえこれから復興したとしても、 以前よりも良くなることはあり得ない…ということを、 みんな口には出さなくても思っているんじゃないだろうか。
少なくとも、新山はそう思っている。新山個人はわりと物欲のない人間で、 大きさとか、便利さとか、趣味の充実といったことはどうでもいい。 だからこれ以上、自分自身の人生がいまより物質的に貧しくなることがあっても、 たいして落ち込まないだろう。しかし…
今回の一連の災害を人間にたとえると「もともと生きる気力がたいしてなかった人間が、 肋骨を骨折して病院へ運ばれたら、そこで癌も宣告された」ようなもんである。 この状況で、日本はほんとうに今回の怪我から回復できるのか (する気があるのか)、 あやしい。苦難をきっかけにふたたび気力をとりもどすという可能性もなくはないが …まあこれは新山の杞憂かもしれない。もし年齢がこうした杞憂を生むのだとしたら、 歳をとるってのはよくないことだ。
”- 2011年4月 (via 60rpm)