岩手県陸前高田市出身の俳優、村上弘明が、2日前に訪れた被災地の様子、そして失われた故郷への思いを語った。
3月11日に発生した東日本大震災。マグニチュード9.0という大きな揺れが東日本を襲い、大津波が東北太平洋を襲った。地震発生後、テレビで津波の様子を見たとき、これまで経験したことのない恐怖を感じ、徹夜で情報を集め続けた。陸前高田市広田町には、地震発生当時、両親や親せき、友人たちが住んでいた。「携帯で連絡を取ろうにもつながらない。両親の無事を確認したくてもできない。もちろん、岩手に行きたくても行けない。故郷に家族がいる人たちがみな経験したように、歯がゆい思いでした」と語る。
地震から4日後の15日、両親の無事が確認された村上は4月1日に岩手へと出発。20時間かけて到着した故郷は、もはや跡形もなく消えており、かつて、村上が両親とともに、買い物に出かけていた陸前高田の市街地は、瓦礫の山がどこまでも続いていた。テレビで見ていた状況を何倍も上回る悲惨な光景を目の前に、現実を受け入れることができなかったという。救援物資を持って訪れた避難所では、幼いころからお世話になっていたお年寄りや、近所の人たちが身を寄せ合って暮らしていたと語る。
村上が生まれ育った広田町は、陸前高田町の広田半島に位置する海辺の町。「子どものころは、海にウニやアワビを取りに行ったりしていました」という言葉通り、村上も、この半島で、海とともに育った。だがその海は、村上の生まれ育った町も、大切な人々もすべてを飲み込んだ。「実家の1階は、津波でめちゃくちゃになってしまっていました。でも、2階部分は不思議なくらい、何の被害もなくて何も変わっていなかったんです」と村上は二階にある両親の寝室を開けたとき、変わらない部屋の景色にまるでいつものように田舎に帰ってきた不思議な気持ちになったという。「部屋に足を踏み入れたときに、部屋の窓のカーテンが閉まっていたんです。カーテンを開けようとしたとき……」、声を震わせながら話していた村上だったが、そこから先の言葉が出なかった。何十秒もの間、村上は天井を見つめ、あふれだす感情を抑えていたが、ようやく絞り出すように声が出た。「夢だったんじゃないかって、本気で思ったんです……」。カーテンの向こう側には、見なれた景色が広がっているはずだった。その景色であってほしかった。だが、カーテンを開けた窓の向こうに広がる景色は、悪夢のような現実。いまテレビで流されているのは、変わり果てた姿の街だが、震災の前は海に囲まれた美しい場所だった。「昔、よく遊んださくらんぼの木、友だちとふざけあっては怒られた土手、すべてが跡形もなくなりました。たくさんの人たちが、大切な思い出の場所を失いました」。
何度も言葉に詰まりながら故郷への想いを語った村上は、「20日以上たったいま、報道も少し落ち着いてきましたが、被災地の現実、被災者の方々の状態は、震災直後と何一つ変わっていないんです。なんとか気力だけ持っている、限界の状態です」と被災地の現状も吐露。「水や電気などのライフラインの復旧、そして当面のお金や仕事、不安な思いを抱えている人たちにこれからの人生をきちんと補償しなければ……」と切実な思いを訴えた。地震発生から27日目、村上の叔父夫婦は、いまだ行方不明のままだ。(編集部:森田真帆)
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